cuckoo's nest

毎回テーマを変えながら、自分が好きなものを紹介します。

立川談志はマイルス・デイヴィスだ。

立川談志マイルス・デイヴィスだ。

それがどうした?と言われそうだが、異論は認める。だが両者に触れ、知る内にこの男たちに似たようなものを感じるのは私だけだろうか?どちらも自分のスタイルを作っては壊し、また作っては壊してきた。

落語を演じている自分と素の自分=己が交互に顔を出すのが談志の落語。古典を現代の価値観で蘇らせ、まくらにも時事問題を取り入れたり、不自然と思った話のサゲを変えるなど常に落語を改良、そして時代と格闘していた。常にナンセンスギャグの連発で突飛した狂気の発想はやがてイリュージョンに辿り着いた。

それらの行動は、ビバップに限界を感じコード以前の教会旋法をとりいれた「モード」を発明し、時代の空気を嗅ぎ分けロック、ファンクを飲み込みエレクトリック・ジャズ、最後にはヒップホップまで飲み込んでいったマイルスに通じるではないか。談志が後年演じていた「落語チャンチャカチャン」はあらゆる落語をメドレー形式で次々とつなげていく談志ならではの技だったが、これは音楽でいうところのサンプリング、つまりヒップホップなのだ。

マイルスは常に衣装、車、女でもヒップであること=時代の先を行くことにこだわり続けたという。だから彼は時代の変化に応じ音楽を変化させていった。

談志もまた時代の変化に落語が取り残されることを危惧し、古典を現代に通じるものへと変化させた。談志はどんなに面白くても落語のなかに「江戸の風」が吹いていないといけないと言った。それはいわばどんなに形を変えても、落語の根底に流れる江戸の庶

民の生き方、嗜みが感じられなければいけないということだろう。

 

マイルスもどんなに変化しても彼の根底にある「音」はマイルス自身だった。

先の名人をも吸収し、型を変え時代に挑戦し続けた二人の男は深く共通している。

 

 

 

 落語とは、人間の業の肯定である。   ー立川談志

 

So what?                                       ーMiles Dives

 


立川談志  らくだ

 


Miles Davis - So What